動機のイメージ画像 2020年9月15日に「毎日の診療から気づかされること」という欄を設けることを当院のホームページでお伝えしてから9ヶ月間で6回ほど、断続的に、拙文を掲載して来ました。いろいろお伝えしたい事はあるのですが、どのような視点で書くのが良いのか、あれこれと悩んでいる内に時間ばかり過ぎてしまいました。
 どうして、このような欄を設ける気になったのか?そういったことは一回目の開始の時に明記しておくべきことなんですが、開始時には、次のような短文の動機しか記載しませんでした。
 「私が、毎日の診療で気づいたり考えさせられたりした事で、患者さん達のお役に立つのでは、と思った事を書いていきます。お役に立てれば幸いです。」

 これは9月15日の開始の時の挨拶(のようなもの)です。

 今回、このような欄を設けるに至った「動機」を開始後半年以上も経った今になってですが、記載したいと思います。そして、その動機を書く過程で、この欄を読んでくださっている皆さんになんらか有益な事が書けたら、と思います。

 さて、今の時代、本当に健康情報が溢れています。

 有益な情報もありますが、中には「どうも違うんじゃないか?」と怪しげな情報もあるように感じます。実際、診療の現場で患者さんから、「えっ」と思うような、つまり症状や病気について「医学的には違うんだがなぁ…」という質問や意見に接することがあります。そして、中には、こちらの知識不足からか、患者さんが思い込んでおられる前提知識が現在明らかにされている科学的知識とちょっとかけ離れているためにからか、どのように答えれば良いのか非常に困惑してしまう質問や意見に接する事もあります。

 こういった質問や意見に接した時、医者が取り得る対応は三つです。一つは、一生懸命医学的見解を述べる。もう一つは、聞き流す。最後は、ある程度は対応しながらも診療の限られた時間ではある程度のところで切り上げる。この三つだと思います。そして、殆どのお医者さん達がとられている対応は最後の三つ目ではないでしょうか?私はそうです。

 しかし、時には、患者さんの考えておられる道筋が<ちょっと違うんじゃないか>と思い、このまま時間が無いからと言って黙っておいて良いのかな?と悩むことがあります。 或いは、もう少し違った医学情報(健康情報)を伝えてあげれば、ご本人の思い込みや誤解を正してあげるお役に立てるんではないかな、と思うことがあります。

 そういった経験と言いますか、毎日の診療での「気持ち」の積み重ねから、このような欄を設けてみよう、と思う様になりました。

 ところが、いざ、書き出してみると、非常に難しい仕事(?)であることに気がつきました。難しい、と感じ(て筆が進まなくなっ)た理由は3つほどあります。

 1)自分には「保証」があるんだろうか?ということ。

「健康」に関する情報や知識は、その人の健康に影響します。当たり前ですね!つまり、その人の人生に影響します。だからこそ「正しい情報」を人は求めます。(尤も、健康情報に限らず、なんにせよ<間違った情報>を求める人はおられないと思いますが)

 だからこそ、○○大学教授や△△研究センター所長、という経歴や肩書きを重要視されるわけですし、その心理は当然な心理、だと思います。つまり「保証」はあるのか?です。

 はて?では私に「保証」はあるのかしら?と考えますと、書いている本人を確認しようと思われた場合「おおまえ医院」に来てもらうと、実際に確認することは出来ます。つまりネット上の架空人物ではありませんので嘘偽りは正せます(嘘偽りは書きませんが)。

 では肩書きや経歴はどうでしょうか?経歴はありますが、たいした経歴ではないので、「保証」になるかどうか…。ということで、結局、書いた内容を吟味して貰うしかないし、書いた内容で勝負するしかない、と覚悟するしかありません。

 と言うことで、読者である皆さんは、本当に納得出来る内容を書いているか、厳しい眼で読んでいただけたら、と思います。

 2)病気の情報(病気の状態を改善させる情報)と健康の情報(健康を維持させるための情報)は異なる、ということ。

 私は、「患者さんを診療する」という臨床の世界と、保健所を拠点にして管轄地域の健康問題を解決もしくは改善する、という行政の世界とを、ほぼ同年数携わってきました(2021年6月時点で臨床行政ともに17.5年間)。ですから、多くのお医者さん達とはちょっと経歴が異なります。

 そういう私の経験から痛感する事ですが、病気にならない健康維持のための健康情報と病気になって改善して社会復帰しよう、とする時の健康情報、とは異なる、ということです。難病を患い、病気と付き合っていく、となると更に必要な健康情報は違ってきます。

 一例を挙げます。骨粗鬆症という病気があります。現在、骨は脆いながらも背骨などに圧迫骨折を起こさないで生活されている人に必要な健康情報と、圧迫骨折を起こされて背部痛に悩みつつ毎日を過ごしておられる人の健康情報とは、全く異なります。

 もう一例挙げます。現在も新型コロナウイルス感染症が広がっています。新型コロナウイルス感染症を発症しないための健康情報と、新型コロナウイルス感染症を発症してしまってからの体調回復のための健康情報は異なるはずです。

 なぜ、こういう事を敢えて書くか、と言いますと、以下に記載します患者さんのことが今も心に残っているからです。

 当院に、小さな脳梗塞を複数箇所発症されている患者さんがこの二年間で数十名は来られましたが、その中のお二人は、抗血小板薬という脳梗塞予防薬を処方しようとしましたら、「それは脳出血を起こすと聞いているので飲みたくない」「現在、血液をさらさらにする食材を毎日食べているので、そういった薬は不要」とのお考えで、結局、手脚のぎこちない動きの原因が複数箇所の脳梗塞であることの診断を受けたのみで、処方は受けられませんでした。その食材の効果は私には分かりませんが、少なくとも、梗塞発症という形で血管-血液障害が成立しているのであれば、今後は新たな梗塞発症予防を考えますと抗血小板薬を服用された方が、リスク(危険因子)は減らせられる様に、と思うのです。

 つまり、発症予防の情報と発症後の情報が同列に受け取られているように思います。

 3)自分の言葉で語ることは難しい、ということ。

 最近のテレビ番組では健康情報番組が良く放送されています。その発言者の方々の意見を聞いていて時々思うことですが、「○○国(たいていは欧米諸国)の△△大学教授(もしくは研究員)の論文では…」という発言を良く聞きます。多分、<発言者の勝手な意見ではないんですよ>という意図からの発言だろうと思うのですが、参照論文の引用を多用される意見に接しますと、その論文の反対研究はないのかな?とか、その引用論文だけでその事が主張できるのかな?と思ってしまいます。そして、何よりも強く思うのは、発言者は自己責任において述べているのかな?という疑問、です。

 恐らく、その分野の研究を専門にしているのではないのであれば、<自分の言葉で述べる>事は、自分勝手な意見を述べているように受け取られるのではないか、と発言者は危惧されるのでしょうね。

 そういう事情を理解した上であっても、実は、引用論文(もしくは引用文献)を出してこられて、<自分の勝手な意見ではないんですよ>という意図を前面に押し出されてきても、それが本当に存在する論文なのか、またその引用された内容が本当に書かれているのか、は、テレビを観ている研究者でもない「普通の人達」には確認できません。私もいちいち確認できませんし、しません。第一、将来否定される誤りの論文だってあります。

 であれば、結局、私自身が経験した症状や病気(これらはカルテに保管されています)について、私自身の言葉で語った方が、読む皆さんにとっては「確かな事」として伝えられるのではないか、と結局考えるようになりました。

 以上、長々と書きましたが、玉石混淆のネット情報が溢れかえる今の時代に、私が「良かれ」と思って設定したこの欄が、実はまた新たな余計情報を付け足すだけではないか、という危惧に対して、そうならないように自分への戒めから上記3点を考えてきました。 その結論を長々と書いてきました。まとめますと、以下の3点です。

 1)伝える内容が確かなものであるかどうかについては「書く内容」を皆さんに吟味してもらうしかない、ということ

 2)健康を維持する情報と病気を改善させる情報とは同じではない、ということ

 3)論文引用は極力排除して、自分の言葉で述べることと心がける、ということ

の3点です。

 最後に、皆さんが健康に関する情報をいろいろな「専門家」から得られる時に一つ注意していただきたいことを書いて終わります。

 どんな偉い人も、一日は24時間しかありません。ある分野の専門家になるには、多分24時間ずっとご自分の専門領域の仕事に取り組んでこられた筈です。もちろん、ご自分の専門領域の知識が他の専門領域の理解に有用な場合も少なからずあるかとは思います。が、テレビを観ていますとあれにもこれにもご意見を提示される人が出てきます。もの凄い勉強家なのか、スーパーマン的知性の持ち主なのか…。

 私の乏しい経験ですが、本当に分かっている人は、難しい実例や悩むような具体例にいっぱい出会って来られているものですから、具体例を出しますし、出せます。

 最後にちょっと変わった例を出して終わります。骨粗鬆症対策について聞かれた骨合成の研究者が「カルシウムを摂って下さい!」。「ではそのカルシウムは何を食べたらいいですか?」「牛乳!」しかし、日本の日常料理にはカルシウム豊富な食材は牛乳以外にもいっぱいあります。この場合、栄養や料理の専門家の方が適任と考えられます。同じような領域であってもその具体例を知っている専門家は異なる、という一例です。

大前 記(2021年6月20日)