皆さんは、「ターミネーター2」という非常に有名な映画をご存じだと思います。私は、「痛み」を考える時、いつもこの映画を思い出します。
未来から形状記憶合金で作られた新型のターミネーターとシュワルツェネッガー演じる旧型のターミネーターが闘う映画ですね。(有名な映画ですのであらすじは略しますね)
その映画の終盤、になって、新型のターミネーターが、自身の指を鋭い槍のようにしてリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーの右肩に突き刺す場面があります。そして、その時にサラ・コナーに新型のターミネーターが言う言葉が「I know this hurts.(字幕は“痛いだろ”)」です。
どうして、この場面を思い出すのか?
この言葉って、痛みを象徴的に表している様に、私には思えるからです。
新型ターミネーターには(旧型にも)痛みの感覚は(たぶん)ありません。だから、このように刺されると「(人間は)痛い」と言う感覚を持っており、(たぶん)耐えがたいのだろう、と理解するように作られている(プログラミングされている)のだろう、と思います。
実は、これって、痛みの治療をする上で、とても大事な事を示しているように思います。私は、幸か不幸か、大学生時代に失明しかけて眼球注射を数十回受けた事があります。また、47歳の時に“えげつない”腰痛を経験して、痛みが巨大なストレスになってストレス性胃出血を引き起こす事を経験したことがあります。さらに、胆のう癌(疑)で腹腔鏡下で胆嚢を摘出したり、胃癌で胃全摘を経験したり、といろいろな「痛み」を経験してきました。現在は、経験したくもないのに、膝関節の軟骨の障害からくる関節痛を経験中です。
優秀な医者は、己の経験からではなく、勉強によって患者さんの痛みを知るのかもしれませんが、普通の医者である私は、己の身体で経験した「痛み」を通じて、患者さんの痛みを想像することが出来ます(追体験、とも言います)。…と言うか、そういう形でないと、私には患者さんの痛みを理解できそうにありません。(己をつねって人の痛みを知れ、でしょうか)
以上のように、いろいろな痛みを経験してきた私としては、眼の玉に針を刺されるときの痛み(と言うか点眼麻酔は効いていますので目の玉に刺さっていく感覚)、身体を切られた痕の痛み、神経が圧迫される激痛、お腹の中に留置したチューブを抜く時の腹膜をこする言いようのない痛み、腹水を抜くために腹膜を刺す時の痛み、軟骨を痛めた時の関節痛の痛み、等を経験してきて、それぞれが違った痛みであることを実感します。
ですが、どうしても分からない(想像できない)痛みの患者さんを経験したことがあります。
その患者さんは子育て真っ最中の女性患者さんでしたが、ご実家から遠く離れた奈良にご主人の転勤で来られて、周囲とは言葉のイントネーションも違うし、知人は全くなく、文字通り孤立無援で子育てを孤軍奮闘されている女性でした。
いつの頃からか、終日、両腕の肘から先、手指に至るまでのところがジンジンとした痛みしびれに悩まされる、ということで、住まい周辺の医療機関を相当数受診されたけれど原因不明。
脳や頚椎のMRIやX-CT、電気を使った末梢神経の検査、も受けておられましたが、「ジンジンする痛みしびれ」の症状を説明し得る結果は認められませんでした。結局、心療内科紹介受診となり、安定剤と睡眠薬を処方されたけれど、症状は改善せず、回り回って当院受診となりました。どのような経緯で当院受診になったのかは、今となっては不明です。
そして診察です。
その方の症状が一日中変わらないのか変わるのか、ジンジン感が強いのか痛みが強いのか、どのような時に痛みが弱まるのか強まるのか,…等々。
どうも日中よりも夜間の方が症状は強くて、安眠出来ないようでした。そして、日中に料理をしている時にふらついて包丁で危うく指を切りそうになった事が何度かあるようでした。
よく、MRIやX-CTを撮って脳神経の症状の原因追求に用いますが、これらの検査は「形」の検査です。しかし、痛みに関係する神経は細い細い神経ですので、「形」になんの変化も出てこないことは少なくありません。また、MRIとX-CTは捉えている形の変化が異なります。全てにMRIが優れている訳ではありません。
次に、電気を使った末梢神経の検査です。当院には、そのような精密な検査を行う検査機器はありませんので、他院で行われた検査結果を検討することになりました。が、この検査でも「明らかな異常」は認められなかったようでした。
他院で行われた電気を使った末梢神経の検査は、電気刺激の伝わる「速さ」を確認する検査でした。この検査は優れた検査ですが、仮に、私達の目で見える末梢神経が2万本の細い神経で構成されているとしたら、その中の半分以上の細い神経が正常の機能を保っておれば、電気刺激が到達する速度が異常低値にならない場合もあり得ます。(もちろん他の検査結果から異常を察知することは出来ますが、もし、速度だけを測定しておれば、その異常が表に出てこない場合があります)
ということで、治療どころか、原因の確定さえ、全く分からず、診断は難航しました。
またご主人が早めに帰宅されている日には子育てストレスが軽減されて症状が和らぐのでは?と期待しましたが「ジンジンする痛みしびれ」は変わらずあるようでした。
ところが、平日は変わらないのですが、明日が休日、という金曜日や土曜日の夜間は、症状が軽くなることがわかりました。
さて、長々とこの患者さんのことを書いてきました。
「翌日が休日の夜間は症状が軽くなる」と言うだけでなく「症状が軽くなった日はふらついて包丁で指を切りそうになる事も無い」という特徴のあることを突き止めました。
症状の出現の仕方についてれらの特徴を聞き出し、改めて頚椎のX-CTによる画像検査を行った結果、「子育てによる慢性睡眠不足」+「頚椎の僅かな変形に起因する神経の圧迫症状」であることが分かりました。(診断に至るまでの詳細な検討については略します)
そして、翌日が休日であると夜間の症状が軽くなるのか、については、ご主人が仕事から解放されて落ち着いて休んでおられることにより、本例自身も夜間の子育てでお子さんが夜泣きされてもご主人に大きな負担をかけずに頼れることから、安心して熟睡できる、という事が改善の原因、でした。
では平日は、ご主人が早くに帰ってこられていてもどうして症状は軽くならなかったのか?それは、ご主人も遠く離れた地で周囲と若干孤立した状態で働いておられるために、本例としては負担をかけまい、として、無理をされていた事を更に突っ込んだ問診で聞き出すことが出来ました。
さて、この患者さんの症状とその原因と解決について、今回、詳細に書きましたのは、精神的ストレスによるしびれ痛みの症状ではあるのですが、簡単に「ストレスによるものです」とは言い切れない難しさを、本例は、改めて教えてくれたから、です。
例えば、MRIは脊髄や椎間板軟骨の形の変化・障害の把握には優れていますが、首の骨(頚椎、と言います)の「いびつな変形」の把握はX-CTの方が有効ですが、MRIで異常が無ければ、X-CTは無用、と考えられる場合があります。
また、電気を使った末梢神経の検査でも、電気刺激の速度の測定だけでは微妙な異常を見逃す事があります。
そして、何よりも、「子育ては大変なんだ」という紋切り型の理解ではなく、遠く離れた地域での友人知人の少ない状態での子育てや、ご主人の労働状況に対する本例の心理的気遣い、など、人間関係や人柄へに対する視点を考慮しながらの問診をしなければ、正確な診断には到達できなかっただろうな、と言うことを痛感した症例でした。しかも、頚椎の病変がMRIでは捉え難く、X-CTで捉えられるような骨棘という骨の変形による神経症状が隠れていた事も、本例の症状の原因解明を難しくしていました。
一言で「ストレス」とは言いますが、単に、心療内科の先生に委ねれば解決する症状ではない。痛みやしびれ、の症状には(これらの症状だけではないでしょうが)いろいろな原因が絡んでいる場合が時々あります。
その一例として、ご提示しました。
大前 記(2021年6月20日)